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取材・文:末吉陽子(やじろべえ) 撮影:藤本和成

独学で大ヒット「硝子ペン」職人・川西洋之さん(43歳)
まだ見ぬ「完璧な一本」を目指し、美しさと機能性を高め続ける

柄に色がたゆたっているかのように浮かび上がる美しい模様、繊細に彫りこまれたペン先ににじんでいくインク――。
アートのような芸術性の高さで手にする人の心をとらえる硝子ペン。「インサイドアウト」と呼ばれる独特な硝子模様の技法を駆使して、オンリーワンの硝子ペンを手掛けているのが川西洋之さんです。

20代の頃に、バックパッカーで海外を放浪していたという川西さん。旅先で偶然出会った硝子細工に惹かれ、いつしか独 学で作り始めるようになった硝子ペンは、数年で全国から注文が殺到するほどの人気を呼びました。作品同様、ユニークな職人人生を歩む川西さんの「はたらくヨロコビ」を探ります。

見た目の美しさと実用性にこだわる

お話を伺う前に、川西さんのお仕事を拝見させていただきました。

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使う材料は理科の実験でお馴染み、試験管やメスシリンダーなどに用いられる「ホウケイ酸ガラス」。国産もあるが川西さんはチェコ産のガラスを用いている。「溶ける時の粘りとか固まり方が好みなんです」とのこと

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酸素バーナーを使いガラスを溶かす。そこに純金や純銀をフューミング(吹き付け)して約2000℃の火でガラスに模様を施していく

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「銀であれば青などの白寒色に、金だとオレンジなどの暖色系に、両方混ぜると緑っぽくなります」。川西さんが生み出す色とりどりの硝子ペンはこの2色だけで作られている

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500℃の電気炉で徐々に冷やしていく。ガラスはデリケートなため、ゆっくり温度を下げないとぱっかりと割れてしまうのだとか

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作業は「ペン先」「持ち手」など1日にどのパーツを作るか決めて進めるそう

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―― ペン先には細かい溝が作られているため、インクにつけると上部に吸い上げられていく。これは「毛細管現象」と呼ばれるもの

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通常の硝子ペンは溝が8本だが、川西さんが作るペン先には12本入っている。そのためインクが垂れてこず、一度インクをつけると原稿用紙1枚分くらいは軽く書けてしまう。書き心地はガラスとは思えないほどの滑らかさ。見た目の美しさだけでなく、実用性にもこだわっている

10年間、世界を放浪後、独学で職人の道へ

―― 川西さんは職人としての道を歩みはじめるまでに、10年間の長きにわたって海外を放浪されていたそうですね。

「はい、自分で言うのも気恥ずかしいですが、完全に自分探しの旅ですね。 カナダやオーストラリア、アマゾンまで転々としました。ニューギニア島では部族の村を移動しながら、世界最大の蝶を探したこともあります。お金がなくなっ たら帰国して宅配業者や自動車の部品工場などでアルバイトをし、お金が貯まったらまた旅に出るという暮らしを続けていました」(川西さん、以下同)

―― 完全なる旅人だったんですね。

「でも、実は20歳まで経理の専門学校に通っていたんです。就職先も紳士服のメーカーに決まっていたんですけど、どたんばで『海外だ!』って思って、飛び出しちゃいました。良く言えば放任主義、子供の人生に口を出さない両親に育てられ、なるべくして旅人になったんだと思います」

―― なぜ10年で旅をやめてしまったのでしょうか? 何かきっかけでも?

「20年旅を続ける度胸がなかったのでしょう(笑)」

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ソフトな笑顔と物腰の柔らかさが印象的な川西さん。いい意味で職人らしくない穏やかな空気感をまとっている

―― 自由ですね(笑)

「ただ、正社員で働いたこともないし、どうしようかなと。そんなとき、ふ とカナダで見かけたガラス細工が脳裏をよぎったんです。というか、それを見たときの感動がずっと残っていて、ああいうのを作ってみたいなって思ってはいたんです。旅をしていた10年間でインターネットも普及し、作り方の情報も手に入ったので、独学で技術を習得しようと思いました」

―― ガラス細工で食べていこうと?

「いや、そのときはそこまで考えていなかったですね。趣味としてやろうと。東京の高尾にあった実家に戻って、倉庫を間借りしながらガラス細工を作りはじめました。同時に旅人時代にお世話になっていた部品工場で働きながら、生活費を工面していましたね」

―― 職人として生きようと決意されたのはいつ頃ですか?

「ものづくりや職人への憧れは以前からありました。サラリーマンは無理だなと薄々感じていましたし。ただ、真剣に考えたのは、3年くらい経って作品が売れ始めるようになってからのことです」

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住まいと工房は隣接しているため、働き方は自由。ただ、朝から集中して夕方頃まで没頭し続けることもしばしばだとか

文房具としての書き味をとことん追及したい

―― 3年のうちにどのような変化が?

「最初はクラフトフェアや神社で開催されるマーケットに出店していました。今もですが、その当時も硝子ペンだけではなく、アクセサリーや帯留めなどを販売していて、徐々に評価していただけるようにはなっていったんです。とはいっても生活していけるレベルではなかったのですが・・・。
そんなこんなでアルバイトも掛け持ちしながら3年ほど経った頃、偶然万年筆を扱っている小売店の方がマーケットに来られていて、私の硝子ペンを取り扱っていただけることになりました。それが35歳のとき」

―― それが転機になった。

「それまでは、ガラス細工の世界で認知されるように頑張っていたんです。 でも、硝子ペンで勝負するなら筆記用具の世界でだ、と気づいてから思考がガラッと変わりました。それから、より書き心地をブラッシュアップさせる方向にシフト。僕自身も旅行中に手紙をよく書いていて、ペンに思い入れもありましたし、何より硝子ペン自体は日本人が考案したもの。日本では浸透していない技法を使って、新しい日本の硝子ペンを作ってみたいと思うようになりました」 継いでくれますよ」

―― 川西さんならではの硝子ペンには、どのような特徴があるのでしょうか?

「一番は、『インサイドアウト』という技法を取り入れたことだと思いま す。カナダで見た細工方法で、ガラス内部に立体的な模様やパターンを入れるガラス細工のこと。ガラス管の内側と外側に着色しながら模様をつけるやり方で、色の出し方やデザインに作り手の個性があらわれます」

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ガラスの中に浮かび上がる立体的な模様「インサイドアウト」。まるで空間をうねるらせん状の光を閉じ込めたかのような、神秘的な美しさ(画像提供:川西硝子)

―― 書き心地の良さは、どのように追求されたのでしょうか?

「紙やインクを調べました。鉱物でくぼみをつけてみたり、ハサミやカッ ターで切り込みを入れたり・・・。細字にするにはどうしたらいいか、にじまないためにはペン先にどれくらいの切り込みを入れるべきかなど、試行錯誤しましたね。また、僕が使っているガラスは硬質なので密度が高く、摩耗しにくいのが特徴。それも、なめらかな書き心地のポイントだと思います」

―― 硝子ペンと聞くと、カリカリしそうなイメージですが、川西さんの作る硝子ペンは、ボールペンに引けを取らないくらいスラスラ書けるので驚きです。

「正直今でも日々研究ですけどね。ここまで来るまでに、ペン先の溝の本数を何本にするかとか、深さをどれくらいにするかとか、数ミリ単位の微調整を積み重ねてきました。あまりに細かすぎるとインクが落ちてこなかったり、逆に溝の深さが浅いとインクが垂れてきたり、いろんな問題がありました。インクの粘度によっても異なるので、本当に奥深いです。完璧だと思っても、まだまだ改良できることがある。そのことこそが、職人としてのやる気を後押ししてくれるのだと思います」

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工房はショップも兼ねているが、商品はすぐに売れてしまうためいつも品薄なのだとか

未だ見ぬ「完璧な一本」を求め続ける

―― ご結婚されてからは、職住一体で働かれているとか。

「妻に経理などを手伝ってもらいながら、個人事業主として働いています。今はまだ子供が小さいので、どうやって育てていくか、家族を食わせるかを優先に考えていますね。まだあと10年くらいは自分と家族を中心に考えていかなきゃいけないなと」

―― お弟子さんをとろうと思われたことは?

「何人か弟子を志願してくださった方もいましたが、自分がまだまだこれからなので、『まだ弟子をとれる段階じゃないんです』っていうことでお断りしています。でも、せっかくなのでいつかは僕と同じような作り方をしてくれる人と一緒に働けたらいいかなと思っています」

―― では最後に、川西さんの仕事で喜びを感じる瞬間とは?

「硝子ペンを作りはじめたとき、見た目の良さから最初は自信があったんです。でも、書けなければ意味がないということに気づいてから、デザインの良さだけではなく機能も追及するようになりました。以来、未だに『これは完璧な一本だ!』と思えるものがないんです。機能的には向上していると思いますが、ベストだと思って作っていても、ここをこうすればもっといいものができたはずと反省点も必ず生じてしまうんです。いつか会心の一本を作りたい、でもそれはまだ先のこと、そう思いながら毎日働けることが仕事の醍醐味なんじゃないかなと思います」