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取材・文:末吉陽子(やじろべえ) 撮影:藤本和成

神輿制作に携わって25年あまり・山下佳一さん(57歳)
「ものづくりは天職。仕事自体を嫌いになったことは一度もない」

日本の祭りに華を添える「神輿(みこし)」。威勢よく担ぎ上げられ、街中を練り歩く様子は圧巻です。そして、やはり目を惹くのは神輿を彩る豪華絢爛な装飾。緻密な細工は、木工や金工、漆工といった手工芸技術の結晶でもあります。

日本が誇る神輿製作の技術を磨き続けているのが、1861年に創業した「宮本卯之助商店」。三社祭などで担がれる神輿も手掛ける老舗の会社です。ここで働く山下圭一さんは、キャリア25年あまりのベテラン神輿職人。神輿づくりにかける想い、そしてはたらくヨロコビに迫りました。

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子どもの頃からの遊び場がいつしか職場に

―― 山下さんが神輿職人になろうと思われたきっかけから教えてください。

私は生まれも育ちも浅草なのですが、親父が「宮本卯之助商店」に勤めていたので、会社には小さい頃からよく出入りしていました。工場にはいろんな機械があったので、当時遊んでいためんこやベーゴマを改造させてもらうこともありましたね。職人さんたちがとても身近な存在だったので、小さい頃からこの仕事のことを意識していたような気はします。

―― 今の職場は幼少期から慣れ親しんだ場所だったのですね。では、仕事として“職人で食べていく”と決断されたのはいつ頃だったのでしょうか?

高校に進学した頃でしょうか。工場が忙しくて「手伝いに来ないか」とアルバイトに誘われたんです。モノづくりは嫌いじゃなかったので、楽しかったんですよね。まだ学生でしたが、歳上の“後輩”に私が仕事を教えることもあって、技術が身に付いてきているなという実感もありました。
高校では情報技術系を専攻していたのですが、学校の勉強よりも職人の方が性に合っているように思えて、職人の道を進むことに決めました。

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―― 本格的に職人の道に入ったあとは、どのような修業を?

最初は和太鼓の皮張りからはじめました。なかなかハードな仕事なので、身体に筋肉がつくんですよ。それを2年ほどやってから、 和太鼓の皮を縫う担当に。それが同じく2年。神輿だけではなく、工房が取り扱っている全ての製品を手掛けられるように、一つの工程にまつわる技術を身につけたら次へと、ローテーションしながら習得していきました。

―― ひとつの工程だけを極めるのではなく、オールマイティに何でもできないといけないわけですね

そうですね。神輿にしても和太鼓にしても分業して制作しますので、全体のことが分からないといけません。すべての工程にまつわる技術を得てこそ、一人前になれる世界です。

―― 特に習得が難しかった技術は、どのようなものでしょうか?

太鼓の胴を削る手法ですかね。最後にカンナで仕上げる技法は、昔から変わっていません。木ごとに年輪も違うので、カンナで木の目を整えながら美しく仕上げるには経験がものを言います。私が20歳くらいの頃にいた大先輩たちがすごく上手で、そこを目指してきましたね。

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5000点以上の部品で作る繊細な工芸品

―― 現在携わっていらっしゃる神輿づくりは、完成までどれくらいの時間がかかるものなんでしょうか?

神輿の土台になる木地(きじ)が完成するまでに約2カ月から3カ月、漆を塗るのに約4カ月から5カ月くらいです。並行して彫金も同じくらいかかります。それぞれ分業で仕上げていくのですが、たとえば木地を組み立てる木地師は神輿の尺を測って、欅(けやき)や檜を適材適所に配しながら、ホゾと呼ばれる釘の代わりになる接合部品を使用して組み立てていきます。木地が完成したら、飾り師が金物の型を取り、そこから漆を塗る。そこから、出来た金物に金メッキを施して…など、細かい工程が幾重もありますね。

―― 相当な手間暇をかけて仕上げていくのですね。

神輿を一つ制作するには、金物づくりや漆塗りなど、20以上の職人技が必要になります。そのため、全体的にどのようなデザインにするのか、金物はどんなものを作るのかなど、誰に任せるかも含めて振り分けています。

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―― 現在、山下さんは神輿部長として一台の神輿を創り上げるところから修理まで、ディレクター的な立ち位置で職人さんたちを束ねていらっしゃると伺いました。具体的に、どのようなお仕事内容なのでしょうか?

新規だけではなく、既存の神輿の修理も同時進行で入ってくるので、スケジュールをしっかり段取りするのも私の仕事です。あと、神輿には5000点以上の部品が必要になりますが、最後の仕上げは私が責任を持って担当しています。

―― 神輿の制作工程で、一番気を遣うところはどこでしょうか?

たとえば、漆を塗り終わった後に金具を取り付けるのですが、その時に ちょっとでも傷をつけてしまった場合、そこだけ塗り直しすると違和感がありますので、いちからやり直しになってしまうんです。取りつける金具はとても細かいものもあるので、繊細な感覚が必要になってきます。仮に納期の1カ月前に傷つけてしまったとしたら取り返しがつきません。私自身、最後の仕上げはいつも 真剣勝負ですよね。

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職人にとって一番難しい仕事は「教える」こと

―― 山下さんは現役の職人であると同時に、後進を育てる立場でもいらっしゃいます。職人を育成するうえで、心掛けていることはありますか?

私たちの時代は、先輩が手取り足取り仕事を教えてくれるようなことはありませんでした。でも、今はそれが通用しない。丁寧にやり方を教えたり、褒めてやる気を引き出したりすることも必要なのだと感じています。ただ、私がそういう教わり方をしていないためか、人にものを教えることが一番難しい仕事ですね。

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―― では、指導した弟子が「一人前になったな」と感じる瞬間はどんな時でしょうか?

うーん。自分自身もまだ一人前だと思ってないですからね。職人って、何をもって一人前というのかよく分からない世界ですよね。どこを切り取って、どう評価すればいいものか……。皆さんが喜んで買っていただけるものが作れるようになることが、ひとまず到達すべきラインであるような気はしますが、そこがゴールではない。

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―― どれだけ腕を上げても完璧な職人はいない、ということでしょうか。

いないですね。次こそは、ここのところはこうしようとか、こうした方がいいんじゃないかとか、毎回毎回必ず何かしら課題が出てきますから。逆説的ですけど、そうした気づきがなくなった時が、おそらく引退する時じゃないですかね。

仕事はもはや趣味。嫌になったことはない

―― ちなみに、職人の道を離れ、他の仕事に就くことを考えたことはありますか?

ありません。それに、仮に違う仕事をしていたとしても、同じようにものづくりをしていたと思いますね。やっぱり好きですし、私にとっては趣味みたいなものですよ。仕事って、強制されてまでやるものではないと思います。
そりゃあ確かに悩んだり、今日は仕事に行きたくないなって思ったりする時もあります。でも、それは仕事そのものが嫌なんじゃなくて、仕事の中のほんの一部のことで悩んでいるだけなんですよね。仕事自体が嫌だと思ったことはないですね。

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―― 趣味だといえるほど没頭できることに加え、伝統工芸に関わっている責任感や、やりがいも大きいのではないでしょうか?

そうですね。ただ、私たちの仕事は一見、華やかに見えますが、実際はかなり地味です。神輿を制作しているというと、派手なイメージを持つ方も多いですが、半年くらいは修理する神輿をばらしたりとか、漆をはがしたり、木地を修理したり、見えないところの仕事ばっかりなんですよね。何十人もの人間がひとつになってものを作って、それをお納めして、氏子(※)の皆様が喜んで担いでくれるのを見るのが一番です。

(※)同じ氏神(うじがみ)の周辺に住み、神社の祭祀圏を構成する人々

―― やはり自分たちが手掛けた神輿が担がれる時に、はたらくヨロコビを感じる、ということでしょうか。

そうですね。それがヨロコビですね。ただ、手掛けた神輿を見に行ける余裕があればいいのですが、いつもかなり忙しいので……。もっとゆとりをもって、ヨロコビを感じながら仕事ができればいいかなとは思っています。

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