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全てのマンホールに出合いたい
マンホーラー・白浜公平さんの果てしない旅

全てのマンホールに出合いたい

マンホーラー・白浜公平さんの果てしない旅

街にはさまざまな工業製品がある。規格化され、量産されたそれらは同じように見えて、じつはモノによりデザインや用途がぜんぜん違っていたりする。

たとえばマンホール。蓋(ふた)に郷土の名産などが描かれた「ご当地マンホール」はよく知られているが、それ以外にも年代や製造元によってさまざまな意匠があるようだ。

そんなマンホール一つひとつの違い、味わい深さに魅せられたのがマニア歴20年の白浜公平さん。全国津々浦々、1万種類以上のマンホールをカメラに収めてきたというベテラン「マンホーラー」である。

今回は白浜さんと街中のマンホールを鑑賞しつつ、その多様性や味わい方について教えていただいた。

鋳物の街・川口はマンホールの聖地

訪れたのは埼玉県川口市。JR川口駅前から徒歩10分圏内のエリアに、魅力的なマンホールが点在しているという。

「川口は鋳物産業で栄えた街で、今もマンホールを製造している昔ながらの工場があります。こちらのマンホールを見てください。『鋳物のまち』って刻まれているでしょう」(白浜さん、以下同)

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▲確かに「鋳物のまち」とある

「これは長谷川鋳工所さんという地元の会社が製造したマンホールです。業界最大手の一つで、建物に付随する『建築系マンホール』の蓋を得意としています。国立競技場のマンホールの蓋など、ありとあらゆる建築系マンホールが長谷川さんのものだったという時代もありました」

確かに、この「H」のマークはよく見かける気がする。なお、川口駅前には長谷川鋳工所が手がけた超希少なマンホールもある。

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▲それがこちら。ずいぶんとハイカラな意匠だが

「JRのマンホールでは唯一の、デザイ ンものの蓋です。このマーク、じつはJRと全く関係ないんですよ。長谷川鋳工所の先々代社長の夢に出てきたマークだそうで、『これを採用したら絶対に会社 が成功するから』と作らせたそうです。実際にはこの一枚以外に注文がこなかったようですが、結果的にここにしかない希少な存在になりました」

まさに一点もののマンホール。マンホーラー的にも歴史的価値の高い一基であろう。

これは踏むのもためらわれるが、白浜さんいわく「マンホールの蓋は踏んだ方がいい」らしい。

「そもそも、踏むために作られたものですからね。逆に山頂にあるマンホールなど、踏まないで放置されている蓋はかえって錆びてしまう。踏みつけるのではなく、『磨く』という意識で踏んでください」

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▲磨くという意識で

一つひとつのマンホールにヒストリーがある

のっけから学び多きマンホールの旅。思った以上に奥の深い世界のようだ。
改めて、駅周辺のマンホールを白浜さんにガイドしていただこう。

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▲まずはこれ。川口市のご当地マンホール
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▲編み込みまで再現。丁寧な仕事

「こちらは川口市のマンホールで、市の花である『鉄砲ユリ』と特産品の『竹ざる』がデザインされています。これ、よく見るとすごく手が込んでいるんですよ。竹ざるの『編み込み』の部分までしっかり再現されているんです」

「あと、川口は商店街のマンホールが特徴的です。タイル張りの綺麗な蓋で、いろんな絵柄があるんですよ」

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▲川口銀座商店街こと樹モールに設置されているマンホール。アーティスティックなトンボがデザインされている
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▲こちらは熱気球
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▲かわいらしい表情の魚

なるほど、どれもかわいらしい。こういうデザインが華やかなものはビギナーにも分かりやすく、マンホーラーへの入口としてとっつきやすいのかもしれない。

しかし、マンホールの楽しみはそうした見た目だけに止まらない。白浜さんクラスになると、そのマンホールが設置された「背景」にまで思いを馳せるという。

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▲たとえば、わりとよく見る「NTTのマンホール」。これにも興味深いヒストリーがある

「NTTの蓋の多くは、川口の吉村工業さんが製造しています。元々は丸い郵便ポストを作っていた会社です。昔は郵便と電話は逓信省(ていしんしょう)という中央官庁が管轄していて、そのつながりで日本電信電話公社(現NTT)のマンホールの蓋も吉村工業さんが手掛けるようになったようですね。ちなみに、Tの字を組み合わせたパターンは昭和24年頃に伊藤哲男さん(『マンホール鉄蓋』著者)が考案したもの。Telephone(テレフォン)とTelegraph(テレグラフ)の頭文字からきています。そういう、それぞれのマンホールが持つ背景を知ると、より愛着がわいてきますね」

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▲鋳物製の丸い郵便ポスト
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▲なるほど、裏側に「吉村」とある
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▲鋳物製のものがあると、つい製造元が気になってしまう白浜さん

他にも、蓋に描かれたイラストやフォントから年代を推測したり、ちょっとしたデザインの違いを手掛かりにメーカーを割り出したりするのが楽しいという。マンホールに限らず、マニアが過ぎるとメーカーを割り出しにかかる傾向があるような気がする。

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▲「蝶番の部分が丸いか四角いかでメーカーを判別できます」と白浜さん
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▲こちらは長島鋳物さんの防火貯水槽の蓋。周囲に「火」の漢字があしらわれているため、マンホーラー界隈では「ひまわり蓋」と呼ばれているのだとか

マンホールから「街の過去」が読み解ける

白浜さんによれば、マンホールはその街の歴史を示す「史跡」としての役割も果たしているそう。その存在により、街の過去の姿が分かるというのだ。

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▲このマンホールも、川口の過去を知る重要な手がかりになるという

たとえば雑草に埋もれかけているこちらのマンホールは、かつて川口で稼働していたサッポロビールの工場敷地内で使用されていたもの。工場は2003年に閉鎖し跡地は再開発されているが、新しく建ったマンションの敷地内にマンホール の蓋のみが移設され、ひっそりと往時の名残をとどめている。

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▲サッポロビールの「赤星」が刻まれたマンホール
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▲雑草に浸食されているが、これはこれで心くすぐられるものがある。聞けば「蓋庭」というジャンルで愛好家がいるそうだ
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▲「庭というか、ここまでくるともはや植物園ですね」。じつに楽しそうな白浜さん

自分はコレクターではない。マンホーラーとしての矜持

しかし、マンホールの蓋がこんなふうに保存されるのは稀だと白浜さんは言う。どんなに歴史的価値が高いマンホールでも、役目を終えれば廃棄されてしまうことがほとんどなのだとか。

そこで、白浜さんは各地の再開発計画などに目を光らせ、撤去されそうなマンホールがあれば何とか保存できないかアクションを起こすそうだ。

「静岡県の磐田市に『光明電気鉄道』という、昭和初期に6年間しか運行されなかった幻の鉄道会社があったんですが、そのマークが入ったマンホールの蓋を磐田駅前で見つけたんです。それをあちこちで発信していたら、駅前の整備をする際にその蓋を市の埋蔵文化財センターに保管していただけることになりました。これは成功例ですね」

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▲これがそのマンホール。中央のマークを手掛かりに過去の文献を紐解き、光明電気鉄道のものであることを探り当てた

もちろん、自ら所有したい気持ちがないわけではない。しかし、白浜さんはコレクターとして自分の欲求を満たすより、愛すべきマンホールの歴史的価値が認められることを望んでいるようだ。マンホーラーとしての矜持がうかがえる。

「どんなに希少な蓋でも、『私にください』とは言いません。自分で持ってしまうと、私が死んだ時にゴミになってしまう。そういう残し方はしたくないんです。古いマンホールはその街の歴史ですから、地元の図書館とか、歴史館などに置いてもらうのが最も望ましい形だと思います。だから『これは貴重なものなんです』と訴えかけることで、少しでも多くのマンホールが救われればと考えています」

マンホール探しの旅に終わりはない

駅周辺をぶらっと巡っただけでもマンホールの魅力、白浜さんの思い入れは十二分に感じ取れたが、せっかくなので腰を据えてじっくりとお話を伺ってみたい。

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▲「それならいい場所がありますよ」と、白浜さんが案内してくれたのは川口そごう屋上のビアガーデン「サッポロビール 川口ビール園」。かつてサッポロビールの工場に併設されていたビール園が、毎年夏季限定でオープンしているようだ
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▲席に着くや、白浜さんが取り出したマンホール型コースター。ビアガーデンに来たのはこれを見せるためだったようだ。ただビールが飲みたかっただけではないらしい
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▲川口市のマンホールを模したコースターはずっしりと重かった。ちゃんと鋳物でできているそうで本格的! ヴィレッジヴァンガードで購入したそうだ(色は白浜さんが自分で塗ったとのこと)

さて、改めて白浜さんはそもそもなぜ、こんなにもマンホールを愛してしまったのだろうか?

「きっかけは十数年前、街を歩いているときにたまたま見つけたマンホールでしたね。2002年につくば市へ編入合併した茎崎っていう町があるんですけど、町名が消えてからも『くきざき』の文字が入ったマンホールがそこに残っていたんです。合併すると看板なんかはすぐに取り換えるんですけど、まだ使えるマンホールの蓋はそのままだったりする。これは面白いなと興味を持ち始めました」

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▲旧茎崎町のマンホール。白浜さんがマンホーラーになるきっかけとなった一基

それからは、もう手あたり次第にさまざまな街のマンホールを巡った。日帰りで巡れる場所を狩り尽くすと、泊まりがけで遠征するように。探せば探すほど、感動的な出合いがあったという。そのいくつかを紹介していただいた。

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▲たとえば、静岡県富士宮市・木之元神社の前にあったこちらのマンホール。かつて神社にあった井戸が道路の拡張によりお役御免となり、この蓋でふさがれたという。富士山と神聖な井戸が描かれた「一点もの」だ。なお、年に1度の催事の際は、今もこの蓋を開けて汲み上げた御神水が使われているそう。気になるマンホールを調べてみたら、当地の思わぬ歴史にたどり着く。これこそマンホール巡りの醍醐味だ
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▲こちらは千葉県富津市のマンホール。「富津~横須賀 東京湾口道路」とあるが、こんな橋は実在しない。「ここに橋をかけたいという地元の願望をそのままデザインしてしまったという珍しいケースですね。バブルの頃でイケイケだったからか、実際にはない橋を描いてしまったという。傑作だと思います」(白浜さん)
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▲昭和3年に設置されたマンホール。さいたま市岩槻の街道沿いにて、今も現役で使われている。マンホールの耐用年数は車道で15年、歩道で30年が目安だが、稀にこうしたビンテージものに出合えるという。香川の琴平町には「大正四年」と刻まれたマンホールもあるそうだ
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▲また、マンホールの絵柄の風景を探し当て、同じアングルで写真を撮るのも醍醐味。Googleストリートビューで場所のあたりをつけ、ひたすら足で探すという
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▲奈良公園の鹿が描かれたマンホール。「どうしても鹿入りのアングルを収めたくて、ひたすら鹿待ちしました」とのこと
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▲参議院第二別館に付随するマンホール。「参」の文字が刻まれている。永田町や霞が関界隈には「年代物の、いい蓋がいっぱいある」と白浜さん。しかし、カメラ片手に下を向いて歩いているため頻繁に職質を受けるという

とまあ、挙げればキリがないほどバリエーションに富んでいる。

それでも、未だ白浜さんのマンホールへの情熱はまるで尽きることなく、「行きたい場所が次々と出てくる」というからまさに筋金入りである。

「遠方はあまり探索できていませんし、東京の道ですら全部歩けていない。全てのマンホールを制覇するくらい極めたいと思っています。それに、これまでに見つけたマンホールについてもまだ由来を調べ切れていないものがあったりして、時間が全然足りませんね」

もはや趣味などという生易しいものではなく、一生をかけた壮大なライフワーク。全国の未知なるマンホールを求め、白浜さんの果てしない旅は続く。