トヨタの生産方式に関して

「シングル段取りの前後比較」 第17回

青木幹晴

60年前には、すでに組立ラインでは平準化仕掛けが始まっていたため、組立ラインでは毎日すべての車種が生産された。そうなると前工程のプレスラインでも、すべての部品を毎日組立ラインへ供給することが要求された。
しかしながら当時大型プレスでは3時間もかけて、生産を停めて作業者が段取り替えを行なっていた。これでは1日に2種類の生産しかできない。このためプレスラインでは、すべての部品について数日分の在庫を持ち、そこから組立ラインへ供給するしか方法がなかった。
これでは組立ラインがジャスト・イン・タイムの実現のため、1ヶ月間はすべての車種を毎日生産し且つその日当り生産量を一定にし、さらに1日の内でもすべての車種間隔を車種別に均等に仕掛けるということを実施したのだが、これは組立ラインのみの効率化で終わってしまう。そこでジャスト・イン・タイムを前工程にも実施させる必要性が認識されたのだが、そこには段取り替え3時間という大きな壁が立ちはだかっていた。
ところがその頃、日本能率協会の新郷重夫が、段取り替えを「事前にできること(外段取り)」と「機械を停めないとできないこと(内段取り)」に区分することで、機械稼働時間を拡大させるということにトライしていた。そのことをトヨタが知り、早速新郷にトヨタへ来社してもらい一緒に改善することになった。
そして改善努力の結果、機械停止時間を3時間から1時間まで短縮することに成功した
そのことをプレス部長が大野に報告に行った。すると大野は「うん、それは良かった。それでは次は10分以内にせよ」という指示を出した。プレス部長は唖然とした。新郷も著書でその時ことを述べているが、彼も本当にびっくりしたそうだ。
そんなべらぼうな指示は無視して放っておくのが普通だ。しかしトヨタマンは違った。その指示を受けてさらに改善に邁進したのだ。それは内段取りのさらなる徹底的な外段取りへの移行の推進だ。
その結果、本当に10分以内を実現しプレスラインの在庫は激減した。もちろんこの段取り改善は鍛造ライン、鋳造ラインなど他の段取り替えが必要な工程でも実施された。これにより前工程から後工程まですべての工程が同期して生産活動を行い、前工程が生産した部品をすぐに後工程が引き取っていくというジャスト・イン・タイムが実現した。
それは次のようなことから分かる。
トヨタは天災などで部品メーカーの供給が止まった時は、即座に全ラインが止まる。これはすべての工程に在庫がまったくなのだから当たり前だと言える。しかし他のすべての自動車メーカーは1週間ぐらいは稼働している。ということは膨大な在庫を持っているということだ。在庫が多いとかんばんは正常には回転しない。
シングル段取り実現後は、頻繁な段取り替えを実施した。
これにより在庫はゼロとなったが、総段取り工数は膨大なものになった。
在庫の及ぼす多方面への損害は、どんなに工数をかけても取り除くべきと考えるほど大きかったのだ。
外段取りは専門チームが担当するようになり大きく改善が進んだ。
青木幹晴(あおき みきはる)プロフィール
1955(昭和30)年、愛知県豊橋市生まれ。
1978(昭和53)年、早稲田大学商学部を卒業。
トヨタ自動車工業へ入社以来、人事部(海外人事関係)、経理部(債権債務管理)、財務部(輸出入経理)などの本社機能 を経て、現場の本社工場・原価グループ(鍛造工場能率・製造予算管理、たな卸し本社工場事務局)、本社工場・生産管理室(車体・塗装・組立工場生産管 理)、米州事業部(海外生産車の原価企画)、田原工場・原価グループ(成形工場能率・製造予算管理)、田原工場・生産管理室(エンジン・鋳造工場生産管 理)、などを経験。
一貫して、トヨタ生産方式の「石垣」ともいえる「生産管理・原価管理・要員調整」の実務を担当し、さらに「天守閣」としての「トヨタ生産方式現場改善」までを実践。トヨタ生産方式部課長自主研メンバー。「かんばんのフローラックラベルへの活用」等で、多数の表彰を受ける。
2004年、基幹職(課長級以上)のチャレンジキャリア制度(転出促進制度)に応じ、40代でトヨタ自動車を退職。
退職後、オーエスジー株式会社へ入社し、トヨタ生産方式の導入に活躍。
2007年、オーエスジーを退職し、豊田生産コンサルティング株式会社を設立。