トヨタの生産方式に関して

「SPHベースの生産性評価」 第26回

青木幹晴

 汎用プレス機などは1台我でいろいろな製品を加工する。また同じ製品でも1回で生産する個数もまちまちだ。ゆえに生産性評価が非常に難しく、実施されていないのが現状だ。そこでSPH(stroke per hour)を基準にした管理方法を紹介したい。
 SPHとは1時間の間、何のトラブルもなく生産できた際の出来高のことだが、実際の生産は、「段取り替え」「設備故障」「材料不良」「製品不良」「材料欠品」等いろいろなことが起こる。そのためSPHの生産数量には遠く及ばないのが現状だ。そこでその現状をまず是認して、そこからどれだけ改善を進められたか評価してあげればよい。
 まず3月から9月までの6ヶ月間を基準期間と定めて実力を測定する。
 それでは具体的に4月を見てみよう。この製品を1時間、何の滞りもなく生産し続ければ2,567個生産できる。この月は1ヶ月合計で7,123個を3時間20分(3.33時間)かけて生産した。
 もしこの3時間20分の間、何のトラブルもなく生産できれば8,548個(SPH2,567個×3.33時間)できたはずだ。しかし実際はいろいろなことが発生してそれに一々対処しながら生産進める。その結果7,123個しか生産できなかった。
7,123個÷8,548個=0.833
 理想状態であるSPHの83.3%しか生産できなかったのだ。しかしこれは現状の実力なのだから仕方がない。今後、ここから少しでも良くしていけばよいのだ。
 こうやって6ヶ月間の平均を出してみると83.2%であることが分かった。それでは次の6ヶ月間を評価期間と捉えて、その平均でこれよりとれだけ下げられるかを算出できれば、どのくらいの低減率なのかが把握できることになる。
 10月は7時間20分(7.33時間)かけて16,111個生産した。7時間20分の間、何のトラブルもなければ18,816個(SPH2,567個×7.33時間)できたはずだ。
16,111個÷18,816個=0.856
 理想状態であるSPHの85.6%生産できた。前6ヶ月間の平均83.2%よりも改善している。ではどのくらい改善したのだろうか。
0.856÷0.832=1.03
 なんと3%も改善しているではないか。これを見た経営者は管理監督者に対して、これがどのような改善によって達成されたのか調査させて報告させなければならない。現場作業者が一生懸命やった改善の結果がこれなのだから、その努力は顕在化させてほめてあげなければならないからだ。そのことが次の改善の励みにもなる。またこの顕在化により他部署の多くの人が知るところとなり、横展が促進される。
 そしてこれを11月から3月まで毎月行い、その都度改善内容の報告をさせる。しかし逆に基準期間より悪化してしまうような月もあるので、その場合は、どのような原因でそれが起こってしまったのか徹底的に調査させ対策を打たせる。
 こうして評価期間が終わったら、その6ヶ月の平均を出してみる。すると87.5%だった。基準期間である前6ヶ月間の平均が83.2%だった。
0.875÷0.832=1.05
 結局、5%も生産能率が向上したのである。
 トヨタ生産方式において現場は、生産管理板に1時間ごとの計画数と実績数を記入してマイナスが出た場合にその原因を追及し対策を打たなければならない。ここまでミクロの管理をしなければ、常に発生する種々の問題の解決は決してできないからだ。
 現場で十分活用された生産管理板は原価係が回収していき、このSPHベース生産性評価の基礎資料とするのである。
青木幹晴(あおき みきはる)プロフィール
1955(昭和30)年、愛知県豊橋市生まれ。
1978(昭和53)年、早稲田大学商学部を卒業。
トヨタ自動車工業へ入社以来、人事部(海外人事関係)、経理部(債権債務管理)、財務部(輸出入経理)などの本社機能 を経て、現場の本社工場・原価グループ(鍛造工場能率・製造予算管理、たな卸し本社工場事務局)、本社工場・生産管理室(車体・塗装・組立工場生産管 理)、米州事業部(海外生産車の原価企画)、田原工場・原価グループ(成形工場能率・製造予算管理)、田原工場・生産管理室(エンジン・鋳造工場生産管 理)、などを経験。
一貫して、トヨタ生産方式の「石垣」ともいえる「生産管理・原価管理・要員調整」の実務を担当し、さらに「天守閣」としての「トヨタ生産方式現場改善」までを実践。トヨタ生産方式部課長自主研メンバー。「かんばんのフローラックラベルへの活用」等で、多数の表彰を受ける。
2004年、基幹職(課長級以上)のチャレンジキャリア制度(転出促進制度)に応じ、40代でトヨタ自動車を退職。
退職後、オーエスジー株式会社へ入社し、トヨタ生産方式の導入に活躍。
2007年、オーエスジーを退職し、豊田生産コンサルティング株式会社を設立。