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取材・文:末吉陽子(やじろべえ) 撮影:藤本和成

親に学び、子へ技術を伝える江戸切子職人・篠崎英明さん(58歳)
「売れなければ意味がない」時代を超えて求められ続ける伝統工芸を

ガラスに細やかな文様を切り込み、繊細な輝きをまとわせる切子細工。なかでも江戸時代の町民文化から生まれ、180年以上の歴史を持つ「江戸切子」は、日本を代表する伝統工芸品として知られています。

そんな江戸切子の技術を守る職人の一人が、篠崎英明さん。父から工房を継ぎ30年、これまでに数多くの賞を受賞し、国の伝統工芸士にも認定されています。一本気な職人だった父の技術と情熱を継承しつつ、「儲かる伝統工芸」を目指す篠崎さんの「はたらくヨロコビ」に迫ります。

緻密なデザインは手の勘だけが頼り

お話を伺う前に、篠崎さんのお仕事を拝見させていただきました。

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まずは「割出」という工程から。ガラスに、カットする場所の目印をマーカーでつけていきます。篠崎硝子工芸所で使用するガラス材は高価な「クリスタルガラス」。透明度と強い輝きが特徴で、長い年月が経っても黄ばまないそう

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カットする機械に刃先「ダイヤモンドホイール」を装着、カットしていく。手先に染みませた経験からくる勘がモノを言う作業

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ダイヤモンドホイールは大小さまざま。線の細さや表現したいニュアンスによって、適宜替えていく。場合によっては、ダイヤモンドホイール自体を自分で加工することも

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ダイヤモンドホイールの収納庫。「国産をはじめチェコから取り寄せたものまで、親父の代から40年ほどかけて集めているので、収蔵量はどこよりも多いと思います。私たちにとっては貴重な財産です」と篠崎さん

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下書きとカッティング、手順は極めて少ない。職人の手作業だけで誕生する緻密なデザインは圧巻のひと言

20代の頃はとにかく逃げ出したい、それだけだった

―― 大学では経営を学ばれていたそうですね。その当時は、家業を継ぐお考えだったのでしょうか?

「(継ぐ気は)ありませんでした。当時は職人が住み込みで働いていたような時代で、仕事はとにかくキツそう。だからスーツを着たサラリーマンになりたかった。しかも、とにかく親父が昔気質の職人で、一緒に暮らしていてもまともに話したこともありませんでしたから。でも、親父は私を職人にするつもりで、『大学なんて行かなくていい』と言ってました。ただ、大学の推薦が決まったときに、祖母が『行かせないのは親が悪い』と味方になってくれたんです。そしたら親父は『その代わり卒業したら家を継げ』と(笑)。とりあえず大学に行って、卒業したらどっかに逃げちゃえばいいかと、その時は思っていましたね」(篠崎英明さん、以下同)

―― でも、卒業後、すぐに工房に入られていますよね。4年間で気持ちが変わったのでしょうか?

「いいえ。納得したわけではなく、説得されてイヤイヤ入ったんです。だから、友達がスーツ着て会社で働いているのが、それはもうカッコよく見えたんですよね。ボーナスが出たとか、車を買ったとか聞くと、うらやましくてね。20代の頃は、どうにかして逃げ出そうと、そればかり考えていました。観念したのは、30歳になる前に結婚して、子供が生まれたあたりから。逃げるのは諦めました(笑)。ところが、そう腹をくくってからが大変だったんです」

―― 何があったのでしょう?

「バブルがはじけて仕事がぱったりこなくなったんです。3分の1くらいに減ってしまって。当時、商品をおさめていた企業から、『不足分は自分たちでなんとかしてほしい』なんて言われてしまってね。バブルの頃は、江戸切子が売れに売れて、企業パーティーのお土産の注文がひっきりなしでしたから落差が激しかった。その頃は親父が社長でしたので、私はあまりよく分かっていませんでしたが、相当大変だったみたいです」

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苦境を乗り越えられたのは、確かな技術があったから

―― その難局をどう乗り越えられたのですか?

「親父の技術力が高かったことが一番かな。あるとき、とある老舗百貨店が親父の腕を評価してくださり、一週間だけうちの商品を置いてもらえることになったんです。不況に転じたこともあってあまり期待はしていなかったのですが、その一週間で爆発的に売れて、以降は常設で置いてくれるようになった。百貨店と直接取引できるなんて、それまでにもあまりなかったので、ありがたかったですね」

―― バブルの前後で、作るものは変わりましたか?

「バブルの頃はギフト商品が主力でしたから、手頃な価格帯のものを数多く作っていました。ところが時代が変わり、『他にないものがほしい』というお客様のご要望が増えてきた。そこからは量産するのではなく、一つひとつにより手をかけるようになりましたね。
ですから、ネット販売もやっていません。ネットは大量に売らないと儲からないですからね。待ってでも買ってくれるお客様がいる百貨店を通じて商売をしていくほうが、私たちには合っているんです。商品を売ってくださる百貨店の信頼を得るためにも、いいものを作る。これに尽きます」」

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技術は自らの努力でしか習得できない

―― 他の江戸切子の職人さんと違うのはどういったところでしょうか?

「やはり独自性でしょうか。親父は「他人に真似されることのないようなものを作っていく」という強いポリシーを持っている人でした。見ただけでうちの品物とわかるものを作れと、常々言っていましたから。私はそれを30年守っていたら、結果的に周囲が伝統工芸士として認めてくださったということです」

―― 切子技術はどのように修得するのですか?

「個人の努力が全てです。基本的なことは教えられても、実際にカットするときは自分の感覚を頼りにするしかない。
『このくらいカットすればいいかな』というさじ加減ひとつとっても、一人ひとり違うから。感覚を必死に磨いていくしかありません」

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現在、6人の職人が働く工房。ピンと張りつめた空気を肌で感じる。切子職人の仕事に集中力と緊張感は不可欠なのだ

―― なかでも習得が難しいのは、どの工程なのでしょうか?

「デザインですね。線の細さと、美しい光の映り込みがうちの特徴です。『亀甲文様(きっこうもんよう)』『菊籠目(きくかごめ)』『菊繋ぎ(きくつなぎ)』など、縁起がいいとされる吉祥文様(きっしょうもんよう)を組み合わせて、何をどう表現するかは作り手の感性次第。これは技術を超えた難しさがあります」

―― デザインはどうやって決められているのですか?

「直感です(笑)。水や太陽、花といった自然物を切子でどう表現するか、その都度、考えています。ちなみに、私は文様をデザインするときに、絵は描かずにいきなり彫っていきます。絵は2Dでしょ。でも、切子は3Dなんですよ。だから、どうしてもイメージ通りにはならない。カットは鋭い直線ですが、それをデザインでいかに曲線的に見せるかが、腕の見せ所であり表現力なんです」

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右は篠崎さんが得意とする技法をつかった作品。均等な円を切り出したデザインはレンズのような役割になり、眺めていると万華鏡をのぞき込んでいるかのような感覚になる

稼げる伝統工芸じゃないと技術が途絶えてしまう

―― いま、日本では伝統工芸の会社が次々と廃業しています。江戸切子をこれからも守り続けていくためには、何が必要とお考えですか?

「作品をいかに売っていくか、ということに尽きるでしょう。伝統工芸といっても産業ですから、作品がお金に変わらないと仕事として成り立たない。しかし、これが今はなかなか難しい。『いいものを作れば売れる』時代ではありませんから。『この作品はなぜ良いのか、どこが優れているのか』について、きちんとプレゼンができないと駄目だと思います。職人にも、儲けるためのスキルが必要なんでしょうね」

―― 格式高い「伝統工芸」の世界に、「お金」という現実的な響きはあまり馴染まないようにも思えます。しかし、とても大事なことですね。

「それはそうですよ。しっかり儲けて、弟子たちにも還元していかないと。うちの親父は社会保険や福利厚生も普通の会社と同じようにかけていたし、引退した職人にもある程度の退職金を支払っていました。退職金を払える工房って、ほぼないと思うんですよね。長くものづくりを続けていくには、組織として成り立つかどうかがとても大事ですから。そういうのをちゃんとすれば、子供も後を 継いでくれますよ」

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切子職人の相棒、旋盤機とダイヤモンドホイール

職人は「少し生意気」でちょうどいい。せがれにはライバルと切磋琢磨してほしい

―― 実際、息子さんも職人の道を選び、一緒に働いておられますよね。息子さんにはどんな職人になってもらいたいですか?

「こうなってほしい、というのは特にありません。自分でいいライバルを見つけて、成長してくれればいい。せがれは今27歳ですが、江戸切子の工房ではちょうど同じ世代の3代目や4代目が増えていて、ちょっとした“ブーム”なんです。東京五輪まではこの商売も登り調子って言われているからか、どこも後を継いでいるみたいですね」

―― 職人の世界でもライバルは必要ですか?

「ライバルがいないと伸びないですよ。『あいつには負けたくない』っていうのがないとね。あと、少しくらい生意気じゃないと駄目ですね」

―― それは意外です! 職人はなんとなく素直さが大事なのかな……というイメージでした。

「サラリーマンだったら“出る杭”かもしれないけど、自分の意志や意欲があるから生意気になるわけじゃないですか。たとえ仲間同士でも、厳しい意見をズバズバ言い合えないと駄目です。じゃないと職人はつとまらないね」

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国や東京都のさまざまな展覧会で、数々の名誉ある賞を獲得している篠崎さん。「経済産業大臣指定伝統工芸品伝統工芸士」の認定も受ける一流だ

お客様に選んでもらえることが誇り。まだまだ引退はしない

―― 改めて、最初は気が進まなかったという職人の道を、今日まで一筋に歩んでこられたのはなぜなのでしょうか?

「なんだかんだいっても、やはり面白いから続けてこられたんでしょうね。そりゃあ、他の仕事をしたいと思ったこともありますよ。誰だって『もっといい仕事はないかな』と思うものですよね。でも、それは幻想であって、実際はそんな仕事なんてないんですよ。それに、仮に10年勤めたところを辞めて新しいことを始めるとなると、せっかくの蓄積がゼロになる。特に、江戸切子の場合は他の仕事に応用が効きません。切子の技術は切子以外、何の役にも立たないからね」

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100万円を超えるような作品にも買い手がつく。それだけ篠崎さんの作品を待ち望んでいる人がいるということだ

―― では最後に、篠崎さんが一番「はたらくヨロコビ」を感じるのはどんな瞬間ですか?

「やっぱり、それは江戸切子が売れた時。じつは、賞をもらってもあまり嬉しくないんですよ。審査員の方が評価してくださるのはありがたいですが、それぞれ好みがありますし、買ってくれるわけではないじゃないですか。でも、百貨店に足を運んだら、バカラもあるし、柿右衛門もある。一流の職人が手掛けたものが並ぶなかで、お客様に『篠崎の江戸切子がいい』と選んでもらえることが誇りですね。

昔はサラリーマンに憧れましたが、今はこの道を選んでよかったと思います。この前、大学の同窓会に参加したんですが、成績の良かったやつは役所に勤めていたり、会社で偉くなったりしていたけど、みんなもうすぐ定年なんですよ。でも、職人には定年はあってないようなもの。私もまだ10年くらいはできると思っています。まだまだ頑張りますよ」