INTERVIEW 私×働く喜び

仕事が楽しくなれば、
人生も楽しくなる。

3x3のストリートボールが、 バスケへの情熱をよみがえらせてくれた。

ー落合さんの社会人としてのスタートは?

小学生でバスケに出会い、高校も大学もバスケ推薦で進学。実業団やプロなどからオファーもいただいていましたが、大学を卒業する時点で一度バスケへの情熱が冷めてしまいました。当時は、まだ日本国内のバスケが今ほど盛り上がっていなくて、このまま続けたときの未来が見えなかったんですね。バスケへの取り組み方も、部活でやらされている感覚でした。
姉がモデルをしていたのであこがれがあり、大学卒業後の社会人としてのスタートは、モデルなどの芸能活動にチャレンジしました。もちろん、いきなりモデルだけで食べていくことはできないので、いろいろなアルバイトをしましたよ。飲食のウエイターや、携帯電話の新規獲得営業など、バイトをしながらオーディションを受けたり、小さなモデルの仕事をこなしたり、という日々でした。

飲食業は全然向いてなかったですね(笑)。細やかな気配りができないし、身体が大きいので長時間働いていると腰が痛くなってくるんですよ。携帯電話の営業は向いていたと思います。身体がデカイので初対面では怖がられるのですが(笑)、もともと人と話すことは好きですし、ていねいに説明していくと、徐々に信頼してもらえるようになり、結果もついてきて、楽しかったですね。営業の仕事は、バスケを長くやってきた経験も役に立ったと思います。チームスポーツは仲間とのコミュニケーションが欠かせませんから。

ー一度バスケから離れたのに、プロ選手としてバスケットボールを仕事にしたのは、どんな経緯があったのですか?

モデルにチャレンジしながらアルバイトをしているとき、3x3(3人制)のストリートボールに誘われたんです。正直言って、学生時代はストリートのバスケはチャラチャラやっている、というイメージがあったんです。ですが、実際にやってみると、全然違いました。
バスケに対して情熱をすごく持っていて、別の仕事を持ちながら、ストイックにトレーニングを積んでいる選手がたくさんいる。モチベーション高くバスケに取り組んでいる姿に刺激を受けました。
また、ストリートはこれまでの部活のバスケとは何もかもが違って、すごく新鮮でした。例えば、ボールも、着替えも、会場も、ドリンクも、学生時代はすべて用意されていたけど、全部自分で用意しなくてはならない。今まで自分が甘やかされた環境にいたことを痛感しました。プレイをする場所も、DJが盛り上げてくれるクラブだったり、見に来るお客さんがとても近い距離で喜んでくれるんですよ。これは、今までに感じたことがなかった感覚でした。

同時期に、これまで遊びだった3x3を競技にしよう、との動きがあり、国際大会が開かれたり、日本代表が選ばれたり、と国際競技としての環境が作られ始めました。そうなるとモチベーションも上がり、徐々にバスケへの情熱がよみがえってきました。
改めて自分にはバスケしかないと思い、25歳の時に5人制のリーグのトライアウトを受け、いくつかオファーをいただいた中で、3人制との両立を理解してくれた5人制のチームの大塚商会アルファーズ(現在の越谷アルファーズの前身)と契約。5人制のバスケにプロ契約で復帰しました。並行して、3×3でのプレイも続けて、日本代表になってトップを目指そうと決意しました。

ー落合さんは、3×3の黎明期から長くトップ選手としてプレイしていますが、当時と今では環境は変わりましたか?

3×3を取り巻く環境は、大きく変わりましたね。日本代表なのに、最初はトレーナーも通訳もいなくて、選手と監督コーチだけで海外遠征してましたから(笑)。すべて自分たちで準備をしなくてはならなかった頃に比べると、今は試合だけに集中できる環境が整ってきました。
この変化を肌で感じてきたので、ありがたいと思うと同時に、当時の代表選手やスタッフは今の日本代表に誰も残っていません。その当時のことを知っているのは僕だけなので、彼らの想いを背負って戦わなくてはいけないですし、当時の経験や想いを新しい選手やスタッフに伝えることも僕の使命だと思っています。

ーバスケを仕事とする中で転機になった経験や言葉はありますか?

ストリートでバスケをしていたときに、多くのことを学びました。特に、所属チーム「UNDERDOG」のリーダー格の先輩(M21)からは大きな影響を受けています。
その先輩からは、「ファンやスポンサーなど、選手を支えてくれる人がたくさんいる。選手たとえお金がもらえないストリートプレイヤーであっても人前に立つ以上、支えてくれる人のためにも、バスケ以外のこともしっかりしなくてはいけない」と、よく指導されていました。支えてくれる人がいて、人前でプレイする立場であるからには、バスケはもちろん、バスケ以外の時間も生半可な気持ちで過ごしてはいけない、という覚悟を教えてもらいました。

日の丸を背負った戦いは、 覚悟も達成感もまったく違う。

ー落合さんは長く3×3の代表であり続けていますが、自国開催の大きな国際大会の日本代表に選ばれることは、今までと違うプレッシャーがあったのではないでしょうか?

5人制からも期待の若手が、どんどん3×3に参入している状況だったので、代表選考はものすごく厳しい競争でしたね。最初の一次候補は30人なのですが、そこから選ばれるのはたったの4人。先ほどもお話しましたが、黎明期の日本代表だった選手たちの思いも背負っていますし、自分をサポートをしてくれる人のためにも、なんとしても日本代表に選ばれなくてはいけない、という重圧がすごかったです。
しかも、開催が一年延期になり、そこまで良い感じで選考に残っていたのですが、振り出しに戻って最初から選考をやり直すことになりました。2020年をターゲットにして、すべて捧げてきたので残念でしたが、そこで立ち止まったら負けです。この状況で何ができるか、改めてトレーニングを見直すなど、自分を信じて前に進み続けました。
選ばれた時は、本当にホッとしましたね。ですが、目標はメダル獲得だったので、目標を達成するためのスタートラインにようやく立てた、という気持ちでした。

ー大きな目標が1年延期になり、それがキッカケになって引退を決意するアスリートもいました。そんな中でも、落合さんがモチベーションを保つことができた理由は?

やはり、一度バスケから離れたことで、改めてバスケがどれほど自分にとって大切なものなのか、わかっていたことが大きかったと思います。
また、日本代表として日の丸を背負う経験は、3×3が初めてでした。代表として海外勢と戦うときは、覚悟が違いますし、勝ったときの達成感もまったく違います。そこにやりがいを見出していたので、自国開催の国際大会でなんとしても代表になりたい、という強い気持ちがありました。

応援してくれる人の声が、 苦しいときも支えになる。

ーバスケを仕事にして、良かったこと、うれしいことは?

プロ選手は、プレイを見てくれる人がいるからこそ、成立する仕事です。生活のために勝ち負けはもちろん大事ですが、ひとつひとつのプレイで何かを伝えられる存在になりたいと思っています。
だから、見ていた人から「感動した」「自分も頑張ろうと思った」などと声をかけてもらえると、本当にうれしいですね。大きな国際大会の後は、街で声をかけられることが増えたことも、とてもうれしいです。もっと喜んでもらいたいので、次はさらに良い成績を残したい、とモチベーションがますます高まっています。

ー落合さんは、SNSなどを通じた発信にも力を入れていますね。

3×3はマイナー競技なので、ひとりでも多くの人の目に止まって欲しいと思い、国際大会中はSNSを毎日更新していました。見てくれている人も、選手のSNSアカウントがあれば応援の声を送りやすいと思ったので、その状況を自ら作っています。見てくださっている人の声がなかったら続けられないくらい、僕にとっては大切なものです。
もちろん、負けた時は更新がしんどいですし、バッシングもありました。ですが、僕はネガティブな声も「今に見てろよ」と、パワーに変えられるタイプなんですよ(笑)。

ーでは逆に、仕事をしていてつらいとき、苦しいときは、どのように切り替えていますか?

勝負の世界なので、成績が評価に直結します。引退していく選手も毎年見てきましたし、常に苦しくて、甘い世界ではないと感じています。
その代わり、つらくて苦しい分、目標を成し遂げたときの喜びが大きいことも知っています。苦しくても、その喜びがあるからこそ、次に進むことができますし、次こそ結果を出すためにトレーニングを頑張ろう、と切り替えることができます。

ー大きな目標だった国際大会が終わりましたが、今後はどのように活動していきたいと考えていますか?

大会までが苦しい道のりだったので、終わった直後は正直言って「やりきった」との想いが強かったです。ですが、試合の動画を何度も見返したりしているうち、だんだんと悔しい気持ちが大きくなってきました。やっぱりメダルを取らないと意味ないな、と。
もちろん、実際に代表として出場して、他の国際大会とは全く違う重みも実感しました。次回は3年後で、さらに苦しい道のりが待っているとは思いますが、今は3年後もチャレンジしたい気持ちでいっぱいです。やはり世界1位となり、金メダルを取りたい。そのための課題も明確になったので、後はチャレンジするのみです。必ず代表になり、応援してくれる人のためにもっと良い結果を出したいとモチベーションが高まっています。

チャンスはどこに転がっているかわからないから、 チャレンジすることを大切に。

チャンスはどこに 転がっているかわからないから、 チャレンジすることを大切に。

次世代の育成には以前から興味があり、引退してから本格的にやろうと考えていたのですが、現役であるからこそ伝えられることもあると思って、『WORMAiD(ワームエイド)』を立ち上げました。世界に挑戦する背中を現在進行形で見てもらうことは、バスケが好きな子どもにとって刺激になるのでは?と思っています。
日本の子どもを海外の3×3の大会に連れて行くなど、小さい頃から世界と触れ合う機会を増やして、「3×3の日本代表になりたい」「3×3の選手として世界で戦いたい」と夢見る子どもを増やしたいですね。

ー落合さんのお話を伺っていると、落合さんの頭の中はバスケでいっぱいなのがよくわかりますが(笑)、もしバスケを仕事にしていなかったら、どんな仕事をしていると思いますか?

うーん…(沈黙)。ちょっと思いつきませんね。
人と話すことは好きなので、営業マンになっているかな?と漠然と思いますが、今はバスケ以外のことをまったく考えていない状況なので、想像することも難しいです(笑)。

ーそれだけ夢中で突き進める仕事に巡り会えたということですね!これからも活躍を期待しています。では最後に、転職を考えている人にメッセージをお願いします。

今は安定なんてない時代ですし、好きなことをとことんやる方向に進んだ方が良いと思います。いくつかの選択肢があったら、シンプルにやりたい想いが強い方に進んで、うまくいかなかったらその時点でまた違うことを考えれば良い。その過程は決して無駄にならないので、チャレンジすることに意味があると思います。
自分自身は転機を迎えたとき、常にチャレンジし続けたいと思い、挑戦者の立場を選択してきました。チャンスはどこに転がっているかわかりませんが、そのチャンスをモノにしようと思えるのは、好きなことをやっているからこそ。やりたいことにチャレンジすることを大切にして欲しいです。

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落合 知也おちあい ともや

プロ3x3プレーヤー

来歴 法政大学を経て、ストリートボールチーム「UNDERDOG」で活躍後、2013年に「大塚商会アルファーズ」に入団。
2014年6月には、3x3男子日本代表に選出され、 FIBA(フィバ)3x3世界選手権に出場。
現在は、「3x3」の活動を中心に、B.LEAGUEチーム「越谷アルファーズ」に選手として活躍中。
2020年自国開催の大きな国際大会の日本代表選手として出場
生年月日 1987年06月18日
出身地 東京都

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